今日は自分にも周りにもものすごく気分が悪くなりました。
そして最悪な気分のまま人間失格を読みました。
初めて読みましたが、とても面白かった。読んだタイミングも良かった。
道化にもなりきれず蟾蜍にもなりきれない自分が嫌だ。何か気付いたような気もする。多分僕はこうなのだけど、こうじゃないのだろう。そして周りはそうじゃないといい。僕はそう思うことに陶酔するのだろう。
なぜ人間失格だったかというと、“文学少女”と死にたがりの道化 (ファミ通文庫)を読んだからなのですが、こちらも面白かった。僕が人間失格を読もうと思わせるぐらいな感じ。他の太宰治作品を読んでみようと思う感じで。新しく出た奴も読んでみようという感じで。でもズレを感じた人間と葉蔵は違うと思う(元々比較してないかも知らんが)。虻を叩く牛の尻尾とSだって違う。人を殺したりだって、死のうと思ったりだってしません。死んでしまったり、殺して欲しかったり(でも自分からは言わない)するのです。神様だって罰してもらうだけです。
実は”文学少女”の方はちゃんと読んで(理解して)なかったりするので論点ずれてるかな?そもそも論じてないか。死にたがりの道化と言ってる時点で違うしね。失格の方も自己投影の勝手な解釈付きだから間違ってるかも。まぁどうでもいいや。
物語はテクスチャとはよく言ったものだ。
いやー涼しくなってきたし久し振りにゆっくり寝れそうだ。